春を行く・・・

リベンジ・・・
梅と菜の花・・・
何となく面白みが無いので、スローシャターに・・
青空が欲しかったです・・・

同じ様な写真が続きました・・・

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コメント

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スローシャッターでの鉄道、以前雑誌で見たんですが、望遠手持ちの
流し撮り、NDフィルターを着けてですが、シュールなイメージでよかった
ですね。
鉄道だって、これからはブレやボケの表現があって良いんです。
この写真ですが、手前の菜の花がもしも風でブレていればもっと面白い
のになあって思ってしまいました。
ボケ表現(アウトフォーカス)の場合、画面の半分以上どころか9割くらい
ボケていても不思議とは思わないでしょう? それと同じ感覚で画面の
半分くらいブレがあっても面白いんじゃないかなって。

ブレとボケというのは、シャープな写真とは反対の位置にいるわけでして、
時代の流行でもって、リアル(シャープ)とブレボケは交互に訪れるんです。
カメラの能力が高まってくると、人間はリアルではなく、ブレボケを求める
ようになるみたいですね。(笑)
スローシッャター表現、これは哲学的な時間軸の表現志向でもあるんで
すが、心理的なブレボケの表現形体でもあるわけです。

この写真のケースでは、列車はブレている。手前の花はボケている。
ブレとボケが組み合わさったミックス表現なんです。ただもう少し手前の花
はボケがオーバーだとさらに効果的だったと思いますね。

ところで鑑賞者の眼は最後にはブレていないところに落ち着くんです。
それはボケとピントの関係と同じでしょう。
静止してピントの合っている部分。ここが最終的なポイントになると思います。
その位置に菜の花の群生がもっとあれば良かったなあって感じますね。

なんやかんやと言っていますが、こういう撮影は囲碁将棋と同じで先の
先まで考えて撮らないといけないので、気苦労な撮影です。
しかも鉄道の撮影は一瞬です。(一瞬撮影だから鉄道は面白いそうですが)

ところで接写や近接撮影でもスローシャッター表現は可能ですかね。
花のクローズアップではボケ表現を使うんですが、多重露光を使えば
さらにブレ表現も使えますね。
むかし私もD700でやったことがありました。やや不自然だったんですが、
それは技術が足りなかったからかも知れません。多重露光をしていない
と思わせるくらいの微妙なテクニックが必要のようです。

ちなみに多重露光手法もスローシッャターと同じく、時間感覚を静止写真
に取り入れる試みのひとつです。
動画が現在、これほど高画質になってきますと、静止画写真の立場は
危うくなってきます。敵に負けないためには敵の手法(武器)を此方に取り
入れて戦うのもひとつの戦法ですね。


猫姫さん。ご感想、とても有り難く思います。
写真は、記録や記念で間違いはないわけです。しかしその最初の成り
立ちの段階では全て表現の写真だと思いますよ。
ご両親が子供を撮るのも、後々の記録や記念を考えて撮っているんじゃ
なく、純粋に子供が可愛い、生まれてきた子供が愛らしくて仕方がないから、
それをごく自然に、自分の気持ちを表現する為に我が子の写真を撮って
いるんだと思いますね。
時間が経てばそれは記録となるんですが、最初の撮影者の気持ちは
とにかく子供が可愛いからもっとよく見るために写真としたい。自分の嬉
しい心を表現したい。それだけなのかも知れませんね。

写真をやっているハイアマチュアの人は、ご自分の家庭の記念写真と、
自らの作品レベルの写真とは全く別に考えています。
社会的な創造性としての写真、ソーシャル・クリエィティブ・フォトグラフィ
とでも言うんですかね。そういうものをやってみたい、自分も参加してみた
いということで、表現としての創作活動をしているんじゃないでしょうか。
謙遜して自己満足というように言ったりするんですが、それは創作に
関しての苦しみから言ったことであり、本当は写真の創作表現を皆に
広めたい、喜びを分かち合いたい、そういう純粋な使命感というか思い
があるんですね。

それからごく普通に皆さんが写真を撮りますよね。これは当たり前に
撮っているわけですが、その撮り方の手法、いやそれ以前に何を撮るか
です、そういうことは感覚的に撮っていると思います。
しかしよく考えれば、全ての現在の写真の手法というものは、それを
最初に始めた人達が必ずいたわけです。
我々はそれを先人から摸倣しているだけに過ぎないんですね。この写真
の撮り方は今俺が始めたんだ、この被写体はさっき自分が最初に見つけ
て撮ったんだっていう人は皆無だろうと思います。

その最初に始めた人が創作者であって、彼は自分の表現として、その
為の撮り方を発見発明したんですね。これは写真に限らず絵画や言葉・
文字にしても同じです。
それらは記録の手段としても使われているわけですが、その最初の成り
立ちはあくまで創作者の表現するエネルギーによって生まれたわけです。

簡単に言うと、写真としての生きのいい状態では表現性。時間が経って
乾物物となると記録性ということでしょうか。
どちらが美味しいか、どちらも好いのですが、やはり生が良さそうですね。

黒白かカラーか、というのは表現性の違いとでも言うべきものです。
カラー化の次は3Dと予定が立っていますね。じゃあこれから全て3Dにし
なければならないのか、静止画も1億画素が必要なのかということです。
後からの記録としてみれば情報量が多いほどよいのかも知れませんが、
現在進行形の表現者の立場としてみれば、過剰な情報量は大変な
負担になるんです。

前に取り上げた高画質インターバル撮影(微速度撮影)、360度パノラマ
ステッチング撮影等は記録に値する映像や画像ですが、それを作成す
る者からすれば、もうこれ以上は勘弁して欲しいというのが現実だろうか
と思います。
それでもっと撮影者の負担を減らしたいということで、実は黒白写真も
あるんだよって私は言いたいわけです。

と言いながらも、本当は黒白写真というのは敷居が高いんですよ。
風景写真を黒白で撮ろうすれば、2000万画素オーバーのカメラが必要
になります。1000万画素では接写とか近接撮影くらいでしか満足が出来
ませんね。カラー撮影よりもカメラやレンズ(短焦点メイン)は良いものを
使わなければならないんです。
意外に思われるかも知れませんが、今のカメラがカラー撮影専用に
なっているために、黒白変換すれば解像力が1/3~1/4に落ちるから
というのが主な原因です。(なので本命はシグマSD1ですね)

ただし黒白写真はモニターで見る場合には、眼がとても楽なんですよ。
モニターの輝度を落としていても難なく表示が可能ですしね。
私が黒白写真に向かっているのは、このモニタリングが楽になるという
ことから出発しているんです。
黒白撮影は、基本的にRAWで撮影していますから、望めばカラーに
することも出来ますね。ほんとは潔くJPEG黒白で行きたいところですが、
画質が落ちるので仕方なくRAWでやっているわけです。ここらはまだまだ
達観が足りません。

>個人的記念写真・・・・ネットにあげて
そういう人もいますよ。親バカですね。^^; でも他人が見ても微笑まし
いですよ。この方、撮影技術は一流です。
ttp://maros-images.sakura.ne.jp/hana.html


ハルさん。
良いポスターを手に入れましたね。
ロベール・ドアノー http://www.kahitsukan.or.jp/doi.html
ttp://blog.livedoor.jp/tokinowasuremono/archives/52724956.html

上にちっょと書いたように、実はモノクロ写真をするのはカラー写真より
も大変なんです。しかし作品レベルの品質は本当は必要ないわけで、
とにかく気軽にモノクロモードでスナップ撮影されることを勧めます。
モノクロの眼に慣れると、写真に対する考え方が以前とは違ってきます。
というか、自分のモノの見方や考え方まで変わってくるんから不思議
です。
それほどに今の時代はモノの本質が、色でもって覆い尽くされているん
です。色や光で誤魔化されているんでしょう。黒白の眼では、表面的な
色香ではなく、モノの存在、距離感、モノとモノとの関係、そして質感、
それらが生息する空間の認知まで分かってくるような気がします。
そうそう、もし好きな人がいれば(男女を問いません)、カラーではなく
黒白で撮影してみましょう。なんとなくその人の本質が垣間見えるよう
な気がしますから。

kusanagiさん

風が少し吹いていたので菜の花が揺れるかなぁって思いましたが、揺れませんでした・・・
このシャッタースピードが難しく、チャンスは1回だけということで苦戦・・
実際は上り、下りの2本で実験し、さぁ本番と思ったら外れ列車(私が勝手に呼んでいるだけですが)・・・
前日も入れると4本でテストし、シャッター速度を決めました。
1/30辺りでは中途半端なブレなので、段々落として・・・
これは1/3です。
望遠の露光間流しズームをやってみたいです。

子供の記録写真の件は、仰る通りのところが実際のところだと思いますね。
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