幼い頃

海に連れて行ってもらったときの楽しかった記憶をダブらせて・・・

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御前岬の富士は、海の部分がもっとダークだったならばと思えて来ます。
スローシャッターは一般的に言って、我々には夕暮れとか夜間という思い
込みがあるからですね。(表現というのは同時代の思い込みによって成り
立っているところがある)
しかしこのように昼間のハイキーなスローシャッター表現というのも、意外
性があって非常にシュールなイメージをもたらしてくれます。これは新しい
表現に通じると考えています。

ここには富士の絶対的な不動性と、手前の海の波による「ゆらぎ」というもの
が高次元で克己融和されているからです。
この写真のイメージがやや弱かったのは、実は波の部分というよりも富士
が朦朧として弱かったからのようにも感じられますね。もっと富士が強く出て
いれば印象は変わってきたかも知れません。
こういう動きを取り入れたスローシャッター表現においては、動かない部分
の役割というのが大切のように感じるのです。

揺れ動くもの「ゆらぎ」と、絶対不動のもの、これを写真に取り入れることは、
あるいみ「禅」的な表現方法だと言えそうです。
写真の表現手法というのは、その根底には深い思想や宗教というものが
横たわっていると私は考えています。かつての60~70年代のリアリズム写真
やコンテンポラリー写真がそうですね。
リアリズムもコンポラも実は、黒白写真時代の表現手法でした。もしかすれ
ばモノトーン表現は、通常の写真より内在する思想性が高くなるという傾向
があるのかも知れません。

先日の、夜の河口での写真は、ゆらぎの部分が大きく不動の部分は堤防
だけという、見るものをして恐怖感を抱かせるものでした。実際にも夜の波
は引き込まれそうな感覚で恐ろしいものです。
ゆらぎという言葉は、物理学や心理学でも使われるものでして、社会学的に
も現在の世界はゆらぎに満ちているというようなことを言います。

そういえば、今若い人(若い女性が特に)が「感性の写真」というものをやって
いますね。なんの事はない、ごく普通の日常の光景の一部を切り取るという、
自身の心理的な「ゆらぎ」を全面的に押し出した表現手法のようです。
こういう刹那的な表現写真も一種の淡い思想性を持っていると考えられます。
それは自分の原初的な思いや不安感というものを他者と共有したいという
切なる希求から来ているように思えるからです。

そのように考えれば、「ゆらぎ」というのはコンテンポラリー(現在的)な写真の
テーマになり得ると言えそうです。
今の時代、現実的にも不安感というものが覆っていますね。自分や家族の
生活や仕事はどうなるのだろうか。国の政治や経済も不安感に満ちている。
そういう不安定な時代において、以前のような安定的で能天気な写真だけを
撮ることが心理的に出来なくなりつつあるということです。

ならば今写真をするということは、そういう不安感のある時代の中で、この自分
というものを精神的に強くし、心を安定化させる働きを追い求めることなのだ、
ということも出来ますね。
今求められる写真行為とは、自分自身を強くし心の安定を図るものでなければ
意味がない、ということかもしれません。

日本は山(森)と海の国ですね。どちらも大自然に溢れているわけですが、
山は絶対的な不動性と安定感、こころの安らぎというものを与えてくれます。
他方、海はダイナミックですが激動する能動世界、その不安感や危機感をも
垣間見せてくれるわけです。
この二つとも我々の精神には、どうしても必要なものなのです。
makotoさんの住むところには、その背後に日本一高い山々と、目前には世界一
深い海があるんですね。

シグマカメラは特別に必要なカメラではありません。イオスで十分ですよ。
敢えて新規に購入するカメラでは全然ありません。
>でももう少しコンパクトで軽いボディがほしいっす・・
あー、これも必要ありませんね。(笑) 1DS/1Dですべて事足ります。重いカメラ
は撮影がてらに運動になって良いのです。(笑)

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kusanagiさん

仰られる通り、ネライはもっとダークなイメージでした。
明るい時間に撮ったので残念ながらイメージとは程遠い仕上がりです・・・
富士山も肉眼でどうにか見える程度でしたから、トーンカーブを持ち上げてます。
やはり月明かりでネラわないと・・・

カメラについては、最近稼働率が低いDsをどうしようか迷ってます。
売却価格が暴落してますので、しばらく様子見ですが・・・
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