秋の晴天に恵まれ

平谷湖奥の別荘地の渓流です。
少し終わり気味というくらい進行してました。
今日はF.344さんとご一緒して楽しく撮影してまいりました。

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「山の写真」、このような大自然の中の撮影は、普通の一般的な撮影とは
まったく別として違えて考えてみるべきだと思っています。
makotoさんは様々な撮影をされるんですが、それらの中でmakotoさんの
写真の、その本当の原動力となっているのは、やはり山の中の自然世界
の撮影体験なのではと密かに考えています。

大自然の中の撮影は特別と言うべきです。人間界と違ってそこには自然
界のルールというものがあるわけですね。人為的な世界と違う大自然の掟
のようなもの。その崇高さを知ることが人間にとって如何に大事かということ
です。
自然の中でこそこの世界の本当の世界の姿というものがあるということを、
身をもって知ることの大切さを思うわけです。

人為的な人間界の中だけで写真をやっておりますと、これは何時か必ず
人為的なゆえの限界に突き当たるんじゃないかなって考えます。
それは我々が日常に暮らしている世界が人為が主体の人間界であるわけ
ですから、それに浸りすぎてしまうと、人為世界だけが全てであるとして
無意識のうちに考え違いをすることになります。要するに傲慢になってしま
うんじゃないでしょうか。
それは単に自分の趣味写真が行き詰まるだけで済まずに、もっと大切な
己自身の生き方の選択の自由ということすらも、知らず知らずのうちに奪わ
れてしまうように思えます。

写真というのは大きな力を持っているわけですが(これも人為のひとつです)、
それは普通の人が見逃すことも見えてしまうとか、記憶を増強するとか様々
な利点があるわけです。
しかし同時に己の規定する写真思考によって、自分の生き方も自己限定
してしまう大きな危険性も併せ持っているように思いますね。
これは写真だけでなく、思想宗教精神的なもの全般に言えることです。
写真に夢中になりながら、いつのまにか写真を止めてしまった、というだけに
すまないで、様々な人生の限界に突き当たっている人が、私の身近でも過去
に幾人かいました。

なぜそうなってしまったのか、その答えはmakotoさんのように自然の中での
写真を撮らなかったからではないかなって今では考えているんです。
写真を撮影しておりますと、これは自分と被写体との問答であるというか、
問い掛けを無意識的にしているんですね。その対象物が自然界であるならば、
知らず知らずのうちに、自然界のルールを学んでいるということになります。
makotoさんの稀なる直観力というのは、生まれつきなのかもしれませんが、
大自然を撮影するうちに自ずと身についたものなのじゃないかと思っています。

よくよく考えれば、己の人生というのはけっして人為ではなく、自然界の賜物
なのです。まあ半自然といいますか、人為と自然界のルールによって各自が
人生を歩むように出来ている。
ですから自然界を学べば、自分の生き方もごく自然に見えて来るようになる
のではと思います。
逆に人為に塗(まみ)れ過ぎれば、本来見えるべきものも見えなくなってしまう。
そう考えると、自分の写真において何を撮るのか、何にカメラを向けるのかって
いう問いは本当に大切です。
まあ自分の好きなものを撮ってよいのですが、そのひとつの中に、大自然で
の撮影行は必ず入れるべきだろうって思いますね。

山に入ることは危険が伴います。それから最近は登山ブームとかで集団で山
に出かける人もいますが、残念ながら集団登山では自然界のルールより人間界
の方が勝ってしまいますから、本当に自然に親しむということにはなりません。
出来れば一人で、もしくは仲の良い友人と登るべきです。
アマチュア写真家であれば山にはカメラを持っていくわけですが、写真を知ら
ない方よりも大きな利益を得ることができます。撮った写真を見ることで自身
の記憶体験を大幅に増強することができるからです。

大自然であれば何も山岳に拘る必要はありません。海や島などもターゲット
になりますし、河川でも良いし、自然は探せばいたるところにあります。自然界
の眼で探せば大都会の中でも自然界は秘められていることを発見します。
しかしやはり大自然の度合いとしては山が一番ですね。
ただ観光地などは自然の中の特定スポットでしかありませんから、撮影者とし
ては、点より線、線より面を知ることに努めるべきです。よく観光地などに行って
自分はここもあそこも知っていると自慢する人がいますが、そういう人は何も知
らないと自分で白状しているようなものです。
ただ観光地でも、少し足を伸ばせば見事な自然が展開されている場合もあって、
観光地だからと言って馬鹿に出来ない場合があります。

東京。大都会の代名詞ですが、もともとは関東平野の極一部でしかありません。
大都会は立体的に造られていますから、パッと見た目には驚きの造形をして
おりますが、平地にしてしまえば東京とても狭い平地でしかありません。事実、
先の戦争では焼け野原になりましたからね。
平たくなっちゃうと、何だ、こんな所にぎゅうぎゅう詰めになって皆が住んでいた
のかと驚くほどです。要するに人工的な家屋と同じで都会というのは狭いところ
をさらに狭く仕切って壁を作り、人為的に虚偽空間を広げているだけなんですね。
これは人為的な錯覚を利用しているに過ぎません。自然界のルールではなく、
あくまでも人間界の仕組みであるわけです。
東京があまりにも巨大な人工空間になってしまった。そのことが現在日本の
政治力の限界を指し示しているということも言えますね。

私も最近は海の方へばかり撮影に出かけて、山へはあまり足が向いていない
ので、これからはもっと山の撮影をしなくてはと考えています。
海は智恵を与えてくれるけれど、精神的なパワーは山に親しまないと着かない
ように思います。
考えてみるとアマチュアで写真をされる方のかなりの部分が、自然の中の撮影
を求めているように感じます。デジイチを持てば山に行きたいって具合で。

しかし山に行っても、ただ漠然と撮影していてはあまり自然力は身につかない。
やはりmakotoさんのようによくよく観察しての撮影でなければと思います。
ここで改めて写真というものを考えると、それは自然界におけるルール、人為
を超えた自然力とでもいうべきものを身につけるということでしょうか。
それが本当の写真の持つ有用性なのではなかろうとと思えてきます。そういう
自然な力が着きますと、人為的な街や人物を撮っても、自然力という別の眼で
観察することが出来るようになる。
写真だけでなく、人生の岐路に立ったとき的確な判断ができるようになるのじゃ
ないかと思います。

makotoさんは地理的に恵まれているところがあり、足を伸ばせば列島最大の
山岳群に入ることができます。そういう魅力的なバックグラウンドがあるという
のは大きな利点ですね。
しかしこちらでも規模こそ小さいのですが、車で30分も走れば深い四国山中に
没入することが可能です。日本列島は山がちで狭いのですが、それゆえの
利点というものがありますね。


ここ数ヶ月、ずっと中国関連の書籍を読んでいるのてすが、もう50冊くらいは
読んだのかもしれませんね。特に中国生まれで日本に在住帰化した方の
言葉には重いものがあります。
それで中国大陸というのは人口が過剰で、今では殆ど自然がほとんど残され
ていないんですね。過開発の歴史を持っているわけです。
それで民度としては人為主義が大きく幅を利かせています。政治で言えば
人治主義となるわけです。人民も極端な拝金主義が蔓延るような有様です。
自然のルールでなく為政者の人間的な思いつきで大きく歴史が動いてしまう。
(人治の反対語は法治であるわけですが、これは政治に人為を排して自然
法則に近づけようという人類の智恵です) そういうとんでもないような状況に
陥っています。

それで中国も開放直後(毛思想からの解放)の80年代は開明的で民主を目指
していたようなところがありましたが、天安門事件(1989年)以降は一党独裁の
共産党に対する反感を逸らす為に、江沢民政権下で猛烈な反日教育を施した
のです。
それは文化大革命とまったく同じ、権力による根も葉もないプロパガンダである
わけですが、嘘も百篇繰り返せば真実になるという、まさに人為の極みである
わけですね。
まあそれほどに中国人の民度というのは精神粋な荒廃が酷いわけですが、
その大きな原因のひとつに中国大陸においては自然が失われてしまっている
という冷徹な現実があるからなのでは、と私は思うわけです。

その自然が経済開放下でますます酷い状態になっているわけで、このままで
行くと、歴代王朝交代時の混乱時代のように大陸の人口の過半が戦火混乱で
失われてしまうという事態にもなりかねません。それだけでなく現在ではその
影響力は中国大陸に収まらずに全世界に波及するわけです。
そうなると、これからの未来の歴史の要請によっては、中華大陸全域において
漢民族の入植を禁ずという荒業的な事態にまで発展するかもしれませんね。
その前例は清帝国下においての中国東北地区の無人化政策というのが挙げ
られます。

そのように国土が自然の力を失ってしまうと、個人レベルだけでなく民族的レベル
にまで荒廃し、人間としての正常な精神すら失ってしまうわけです。
中国関連の本を読み進むうちに、反面教師的にとても参考になったわけですが、
大自然の内包している自然力というもの、これは非常に大切なものだなって
いうことが実感できるようになりました。
そして日本人も、この恵まれた自然からもっともっと学ばなければならない、そう
切に思わずにはいられませんでした。

makotoさん、この不況下で能天気に写真を撮っているというご気分、まあ、
ちょっと後ろめたいものもありますが(笑)、こういう時代だからこそ、自然力に
磨きをかけて、たとえどんな時代が来ようとも揺るぎない精神力を切磋すること
は大切だと思いますよ。
中国は本気になって狂いつつありますから、東アジアはこれから戦火にまみえ
る可能性が大です。とりあえずは日本の今の平和ボケをなんとかしなくちゃなら
ないわけです(笑)。

今一寸考えているのは、写真道に禅の思想を織り込みたいなあっていうこと
です。禅とは鎌倉武士が日本において最初に取り入れたものなんですが、
言わばカメラを刀に見立てて精神的な真剣さを追求するということでしょうか。
これまでは写真を密教的な曼荼羅に例えていたんですが、それをシンプルな
禅のこころに切り替えていこうかなって、思いつきで言っております。(笑)

kusanagiさん

山とは言え、それほど奥深く入ったところまで行っている訳ではなく、基本的にはお手軽写真に終始している訳です・・・
できるだけ人工物が無くて、山奥に見えるように撮るというか・・・

中国は、明らかに狂ってますね。
今の製品で中国生産は増えてきてますが、これから影響が心配です。
身近なところで、影響が出始めてしまうのがとりあえずの懸念材料でしょうか・・・
もっと大きなところでは国との関係ということになってきますが、
実際のところ、我々ではどうすることもできませんし・・・
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