飛沫を浴びながら

傍まで寄って撮った平湯大滝です。
樹の枝が邪魔で少し河原側へ乗り出して撮影してます。

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コメント

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滝は昔から修験道の修行の場であったわけで、考えてみればそういう
神聖な場所での写真撮影というのは、そもそも写真道そのものが一種
の宗教なのかもと思えてきますね。
日本人はよく無宗教だと言われますが、とんでもなく間違いであって、
日本に住む全ての人が自然神道(日本神道)の信仰心をもっていて、
それをベースにして仏教やら何々教をダブって背負っているという感じが
しています。
(そもそも無宗教というのはイコール拝金主義のことであって、日本以外
では良い意味では使われません)

そういうことになると、makotoさんなどは写真的神道の修験者とも言えな
くもないのでしょうか。
神道は自然(しぜん・じねん)というのが宗教的な骨格なのですが、ハイ
アマチュアの日本人が考えている写真とは、自然の意味がネイチャーで
あれナチュラルの意味であれ、一切の人為的な作為を排するということで
すから、まさしくこれは神道の系譜そのものなのです。

街角で撮るスナップ写真も、大自然で撮る本格写真も、その背景に自然
(ナチュラル、泰然な)という宗教思想というバックボーンが流れている。
要するにそういうことではないでしょうか。
非常に興味深いのは、レンズですか、いや精密機械のカメラもそうですが、
水清き流れの森林地帯で作られるということです。これは水や空気が清浄
でなければ良い製品ができないからですね。今は人工的なクリーン工場
で作られるのかも知れませんが、カメラの生産地帯である日本もドイツも
森林王国であるわけです。自然神道の神々が生息する国ですね。

写真のハイアマチュアの方は、良いレンズに拘り、高性能なカメラを追い求
めます。まあ一般の実用としての写真を撮る人々は中国で生産した大衆
製品で十分なのですが、写真に宗教的な意味合いを追求している方は、
やはり日本製やドイツ製、アメリカ製でなければ納得がいかない。
その大きな理由が、自らの写真行為にもその為の道具にも、人為性を遠ざ
け高度な自然性を追い求めているからなんですね。
デジタル製品の最たるパソコンは今や中国大陸で作られている。しかし最も
高度なアナログ製品であるカメラやレンズは、やはり文明国でなければ作れ
ないのです。

それにしてもmakotoさんは無理をしますね。足を引きつりながら、もしもクマ
に出会ったらどうなるんでしょうか。
私も先日、四国山中の廃鉱山を撮影中、イノシシの足跡を見つけてびっくり、
夕暮れが迫っていましたのであわてて山を後にしました。

kusanagiさん

熊避けの鈴は鳴らしながら歩いてましたが、逃げることはあまり意識してませんでした・・・
最悪三脚で戦うしかないかと・・(^^ゞ
完全に公園化されてる場所ではありましたが、時間的に薄暗くなってきてたので危険と言えば危険ですね。
我々が帰る頃に鈴も持たず、向かっていく人も居ましたが、それこそ危険ですね・・・
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